良き師を持つことが最大の幸福への道であることは誰もが知っている。
だが、良き師から厳しい訓練を受けたものだけが三流から二流への階段を登る。 良き師は厳しい。 やがてリーダーになる者が甘やかされて育ったのでは、その後続く者は育たない。
経営者のボンクラ息子も厳しい訓練を受ければそれなりの経営者になるが、そうでなければ会社を倒産させてしまう。 また師亡き後に慢心すれば組織は壊滅し社員は路頭に迷う。 ところが二流から一流への階段は富士の山ほども高い。 そこで受けた厳しい訓練を忘れ、なごやかで、痛いことを言わず、穏便に過ごすことを求めるようになる。 それは嫌われたくないから。 妥協はここからはじまる。 やがて戦うことを忘れた翼の折れたシーガルは浜辺で残飯を漁るようになる。 厳しくもあり、優しくもありという一流への道は自分が今度は後輩を育てる番だという意識がいる。 そして立派な人間を次々と育てたという成果こそが最大の実証である。
それを、この世を去るときになって悔やんでももう遅い。
後藤新平の言葉として有名だが、事実は中国の白楽天の四十数代目の白先生の言葉。
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。
されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」